訪問記

イラン・バム市 バングラディシュ ギニア国コナクリ市 上海・トイレエキスポ 東チモール インドネシア

イラン・バム市訪問記(2004/2)

  1. 震災後半年の現地の様子

    バム市が平成15年末大震災に遭って一瞬にして43,200人もの生命が失われ約半年が過ぎた平成16年6月から本格的な復興が始まりました。日本からの援助隊もケルマンとバム市を往復しながら復興を進めましたが、現地の人達の生活は過酷を極めていました。バム市では夏は熱波が吹き荒れており外気温が常時40度を超えるということは、地表面の温度は60度を超えていたと思われます。

    震災直後は山のようにあった瓦礫も道路付近はかなり片付けられており、テントも5分の一 から6分の一に減っておりました。その分仮設住宅(といってもコンテナ様の家)が目立ちました。コンテナハウスには勿論、布製のテントにまでクーラーを取り付けて市民は熱波に耐えていました。崩壊した商店はそのままに、それに替わる賑やかな青空市場が開かれていました。

  2. 水道施設の復興

    日本からの援助隊は、地震で切断されたアスベスト管の「配水管ネットワーク」のうち、緊急性の高いルートを30kmだけ先に復興しようとしましたが破壊されたアスベスト管に替えて敷設するダクタイル鋳鉄管のイラン国内での生産が追いつきません。500mm程度の口径の大きな管になるとあと半年もかかるという回答が返って来ました。

    緊急を要するのでケルマン(バム市のある州都)上下水道当局の中には豊富にあるアスベスト管で主要ルートを敷設しようと主張する職員もいましたが、「耐震性も弱く、人体への影響も少なからずある、アスベスト管を再び敷設することを日本として許すわけにはいかない」と反対しました。そしてさらに昨年末の地震で崩壊した鉄筋コンクリート製の「配水池(2000m3)」とそれに付属している「塩素消毒室」と浄水場スタッフが詰める「ゲートハウス」も、日本の資金での建設を進めました。

     我々が接した限りでは、NGOも民間会社も資金(安定した回転資金)がありません。契約時の前渡金を何十パーセントか貰って、その資金分だけ資材を購入したり、地面を掘削したりします。その資金が底をつけばそれで工事は中止です。ケルマン市内には、建設中のビルを多数見かけましたが、施主はお金が溜まったらその分だけ、鉄骨を組んだり、フロアや壁を立ち上げたりします。資材の価格が思わぬ値上がりをするとか、資金が底をついたりしたら、また次にお金が溜まるまで現場は休止です。小さなビルが完成するまで5年も6年もかかるというのがここでは常識なのです。

    配水池のコンクリート打設の際、気温の上昇する昼間は、気温が高すぎて生コンクリートは打てませんので早朝か夜間作業で行ないます。猛暑の日中はさすがの現地の作業員も、ぐったりで、日が翳る夕方まで現場のテントの中で休ませざるを得ません。

    配水管の施工の方は、頼みのダクタイル鋳鉄管が秋になって漸く入荷し平成17年3月末には、予定ルートの30kmを敷設することが出来ました。配水池や塩素消毒室も3月末には完成させ、無事引き渡すことが出来ました。「何時完成するかは、神のみぞ知る」というイスラムの社会慣習の中で、苦戦続きでした。

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バングラデシュでトイレを造る話(2004/06)

  1. 現地の様子

    世界一の人口密度の国と言われるだけあって、ダッカ市内には、市民、リキシヤ(自転車に幌付きの人力車をくっ付けたもの)、オート三輪車、タクシー、乗用車が溢れていました。まるで洪水のように朝から深夜まで道路を埋め尽くしています。

    客待ちのリキシャ、オート三輪車は利用客より数が多そうで、その日一人の客も拾えないのがいるだろうと想像します。またアジア最貧国といわれるとおり、街を歩くと大人も子供も含めて、物乞いが寄ってきます。市内は始終交通渋滞で、車で郊外へ抜けるだけで1時間以上もかかります。

    農村地帯に入ると、一転してのどかな田園風景が展開され、現地へ行くと家の中から子供たちがぞろぞろ出てきて、私達の周りに、人なつっこい眼で物珍しそうに集まってきます。野の花を手折ってプレゼントしてくれる子もいます

  2. し尿を農作物育成の肥料として使うことについて

    発酵させた屎尿を畑に撒くことについては、「そのような話は聴いたことがある」「バングラデシュでもある地方では実験的に始めている」という話の一方、「排泄物を食べ物に撒くなんて、他の人が食べても私は絶対にいやだ」「そんなことをしたら呪いがかかる」と、反応はさまざまでした。

  3. トイレが完成しワークショップを開催しました

    コミラ県コトバリ地区に昨年12月15日から2月28日まで2.5ヶ月掛かって、漸くし尿分離型のトイレが15基完成しました。

    村の人達40人ほどを集めて@どうやって使うのか、Aうんこをしたあと灰をかけ、アルカリ性に保ち、寄生虫卵を死滅させ、半年乾燥させると肥料に使えること、Bオシッコは汚くないから少し溜まったら水で10倍程度に薄めて畑に撒く、Cトイレはいつも綺麗に使うことなどを、3日間かけてワークショップをやりました。現地のスタッフが英語を現地のベンガル語に通訳してくれたのです。これから、1年以上をかけて追跡、検証して、資源循環が成立することを確かめる必要があります。


  4. バングラデシュの人達を見直しました

    ある人は「バングラデシュはイスラム教と社会主義とベンガル人の悪さばかりを集めたような国で、これほどビジネスにフラストレーションを感じる国は他に無い」と言われましたが、私も、当初この国の農村地帯に「地球環境基金」を使ってトイレを建設することは難しいと思いましたがようやく、これから使用開始と言う段階まで漕ぎ着けることが出来ました。金持ち先進国の善人は、常に「信義誠実の原則がいつでも、どこでも通用する」ものとして、行動していますが、そこに大きな落とし穴があることを途上国で援助事業をしていると思い知らされることがあります。しかし、接触した現地NGOも、実質的なマネージメントをしてくれた機関も約束は守り、「信義誠実の原則」を示してくれました。

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アフリカ、ギニア国コナクリ市訪問記(2004/11)

  1. 現地の様子

    ギニアは日本の本州より少し大きいくらいの面積で、人口が850万人くらいしかおりませんが、首都のコナクリ市にはそのうちの4分の1近い220万人と云われていますが、統計が不正確で、本当のことは分かりません。年間降雨量が日本の3倍近くもある熱帯雨林に覆われた高温多湿地域で連日30度を越え、椰子やココナッツが自生し、ここでは満足に着る物や住居がなくても餓死する人はいません。日本から来た援助隊が良質の飲料水を必要量確保してやることが出来れば、コナクリ市の水系伝染病が減少するとギニア政府は期待しています。

    市内は見渡す限り目を覆うばかりの貧しさです。玄関やドア・窓のある家らしい家に住んでいる市民はごく僅かで、普通の多くの人々は、無計画に土地を占拠してドアも窓も無い空間をトタンとベニヤで囲って家として住んでいるのです。車は廃車と見紛うばかりのぼろ乗用車が縦横に走り回っており、朝の8時からもう交通渋滞が始まります。

    商店の多くは青空商店です。野菜や果物は勿論のこと家具や電気製品でさえ、野外で売っています。 木製の家具や革張りらしきソファが雨に濡れたり、陽に焼けるのをつい心配してしまいます。夜は商品を倉庫に運び込むということもせず、シートを架けて夜通し寝ずの番人を置くのですがこれは適当な倉庫も無く、倉庫を借りる金も無く、寝ずの番人を置くほうが安上がりだからだろうと想像出来ます。

    それでも義務教育制度があり、朝には学校へ行く児童の姿を見ることが出来ます。また毎週金曜日午後には、市民は民族衣装をまとって、祈りの時間を持ったりします。

    庶民の家の中のトイレを見せてもらいましたが、大多数の人々は家の中に衛生的なトイレを持たず、終末処理場もありません。貧しくても人口は増え続けており、共同水栓を含めた良質な飲料水の供給はこの都市には欠かせません。飲料水を改善した次は衛生的なトイレと街中に溢れている廃棄物の収集・運搬・処理が緊急の課題です。

  2. 水道事情

    水道施設ですがギニア国は降水量が多いだけあって、水は豊富にあり、水源としてダム、山間の湧水池や深井戸を使用していますが、水量の計測器が壊れたままでした。従って、浄水場で浄化して滅菌後、配水するのですが、量的な把握が出来ません。昔フランスやカナダ、中国の援助で流量計を取り付けていたのですが、故障したあとは放置されたままでした。不明水(料金を徴収出来ない水)の量を正確に測ることが出来ませんが、我々の調査の結果50%以上あることは明白で、配水管も老朽化しており、配水管からの漏水も3分の1以上ありそうでした。

    今回日本の資金で新しい3万トン規模の浄水場を建設する予定ですが、現状の漏水を改善しない限りは、3分の1に相当する1万トンは土に飲ませてしまう計算になります。

    水質検査をして判ったことなのですが、水道水からは大腸菌(T-Coli Form)が検出されました。さすがの我々も少し驚いているのですが、人口の急激な増加に対して水の供給が間に合わず、水道管は満管にならないので圧力配管にはならずに自由水面を持って流れるときがあり、その時逆に汚水が漏水箇所の亀裂から水道管に浸入するという推測をしました。

    我々は、直接飲む水はミネラルウオーターにしていますが、歯を磨く水、皿やカップを洗うのは水道水でやるしかないわけです。ホテルやレストランのグラスや食器もそれで洗っているわけで、このことが解っても我々にはどうすることも出来ませんでした。

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上海・トイレエキスポ訪問記(2004/5)

  1. トイレエキスポとは

    World Toilet Organization が企画した「第1回世界トイレ博覧会」が上海の「INTEX 上海」(虹橋ホンチャオ地区)で5月8日から3日間、開催されました。特に決まったテーマはなく、「世界のトイレ集まれ」といことで開いたのでしょうが、参加したのは中国国内のトイレ製造会社を中心として、日本のINAXとアメリカのAmerican Standardくらいでしょうか。

    出展内容として圧倒的に多かったのは、
    ・便器の性能や美しさを陳列したもので、中に 「し尿分離型便器」を出品している会社が1社ありました。次に多かったのは
    ・公共の場所で不特定多数の人が使用するポータブルトイレット、そして
    ・生物学的な処理装置が下部に付属していて、下水を処理して上澄水をフラシュ水 として循環使用できるタイプの公衆トイレを出品している会社が1社そして
    ・家庭用ではあるがコンポスト製造のための動力式ミキサーが付帯している コンポストトイレを1社出品しておりました。日本のINAXは、到来している高齢化社 会に備えた介護にやさしいトイレ設備を出品していました。
  2. 中国のトイレ事情

    上海は1,300万人以上が住む大都会で、高層建築はそれぞれ秀麗で奇抜な外観を競い合っており、夜景の美しさは旅行客の眼を楽しませてくれました。しかし上海は北京と並んで諸外国とくに欧米・日本等に対する「ショウウインドウ」的色彩の強い都市という感じがしたのは否めません。主要道路に沿って立ち並んでいるホテル、レストラン、デパート、商店は東京のそれと違いは感じられませんが、一本か2本裏通りに入ると、一転して風景が変わり、汚れた雑駁な街路と人々の暮らしが見えてきます。

    トイレに関しては、北京、上海などの大都市は、公衆トイレの清潔なものが量的に十分備わっており問題はなさそうですが、出品内容から類推するに、地方の小都市、内陸部に入ると、生活用のトイレ、公共の場所のトイレが緊急の課題なのでしょう。家庭用コンポストトイレを出品している会社が、化学肥料を使用して育成した農作物を人間が摂取して、そのまま河川や海に廃棄するのは「悪性循環」として排除し、人間の排泄物を堆肥として使用する「良性循環」を主張していたのは、われわれの常日頃の主張と合致し嬉しく思いました。

  3. 終わりに

    第1回世界トイレ博覧会ということもあり、出展会社も15~16社であり、いわゆる「トイレの売り込み」に終始しており物足りなさを感じました。近い将来、わがNGOも途上国のトイレの現状・実態をまとめて紹介することに併せて我々が推奨する「エコロジカル・サニテーショントイレ」を出品したいと考えております。

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「地球環境市民大学校 平成17年度海外派遣研修」環境再生保全機構主催
《東チモール.インドネシアコース》  日時:平成17年8月31日〜9月12日(13日間)

  1. インドネシア国(8月31日〜9月2日)
    1. マングローブ情報センター(運営:インドネシア林業省とJICA)

      低潮線と高潮線の間の潮間帯に自生する植物の総称を「マングローブ」といい、ご存知のとおり小生物.魚類の宝庫となっているが、近年開発の影響で急激に減少しつつある。JICAが援助してこの情報センターを設立し、マングローブの植林、保護研修と環境教育を行っている。

    2. JARIファウンデーション

      海洋域の生物多様性や種の保全を目的として1997年に設立されたロンボク島に本拠を置くNGOで、構成メンバーの全てがダイビング資格を有している。沿岸環境の調査、エコツーリズム開発、沿岸海洋環境教育センターの設立と運営などの事業を行っており、エコツーリズムの実施を通じた国内外の訪問者や地元住民の環境保全への啓蒙活動、また公的機関との連携にも重点を置いている。なおJARIとはインドネシア語で「海洋保全に取り組む」を意味する頭文字を取ったものです。

      ロンボク島の住民の半数以上は家の中にトイレを持たず野外で排泄している。今後我がNGOが「水とトイレと教育事業」を行う拠点とした場合、JARIファウンデーションと連携することが出来る。


  2. 東チモール国(9月3日〜9月11日)
    1. オイスカ地域開発研修センター

      (財)オイスカは国連の経済社会理事会と協議資格を持つわが国の数少ないNGOのひとつで、1961年設立以来農業研修を通じた人材育成、環境保全活動を世界各国において展開している。東チモール独立後リキシャ県マウバラに日本政府の草の根無償資金協力を活用して「研修センター」を設立し、地域リーダーとなる人材の育成に力を注いでいる。また復員兵士や他の機関からの研修生も受け入れており、東チモール随一の農業指導者育成の研修センターとして注目を集めている。

    2. 日本大使館.JICA
    3. 国際食料農業機関(FAO)
    4. ピースウインズ.ジャパン(PWJ)

      日本に本拠を置くNGOで1996年の設立以来、紛争や貧困などの脅威にさらされている人に対して支援活動を行っており、ここではインドネシアからの独立闘争からの復興、人々の自立を目指す人道支援活動が行われている。東チモール唯一の輸出産品といえるコーヒーの品質を高めることにより村人の生活向上を図ることを目的として、エルメラ県レテフォホ郡の3つの村で技術指導などの支援を行っている。またモデル農場も運営し、農作物の自給に向けても活動している。コーヒー栽培農家はほとんど家にトイレを持っておらず、畑で済ませるという事なので、東チモールでプロジェクトを遂行する場合、PWJと連携出来る。


    5. ドンボスコ農業技術学校
    6. バウカウ県庁舎
    7. ドイツ技術協力公社(GTZ)
    8. 国際開発センター

      日本に本拠を置く開発.国際協力分野専門のシンクタンクで、人道.開発支援室を置き、開発協力活動も実践している。東チモールでは現在改良かまど普及プロジェクトと植林プロジェクトを行っており、首都ディリ近郊のメティナロにて森林破壊の主要因と考えられている薪材過剰利用のための森林破壊を食い止めようと燃費の良い改良かまどの普及に努めている。この活動に地球環境基金からの助成を受けている。

  3. まとめ

    一般参加者の他の5人はいずれもまだ20歳代で私の息子より若い人達ではあるが、いずれもNGO活動における海外実践経験があった。研修の訪問先は日本に本拠を置くNGOの現地活動現場か、現地ローカルNGO、あるいは現地で活動中の日本及び外国の援助機関であった。私にとっては、地球環境基金の海外研修という目的の他に、今後我がNGOが掲げる「飲料水とサニテーションと教育」を実践する場合に連携出来そうな現地NGO探索の旅でもあった。

    インドネシア.ロンボク島の「JARIファウンデーション」とは連携が出来そうである。ここの地域の家庭では一部の裕福な家を除いてはトイレを持っていなかったからであり、現地における業務遂行のコミュニケーションも問題なさそうである。来年1月の「地球環境基金」に我NGO/NPOで助成金の申請を行うべく調査を開始することにする。

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